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小中高陸上全国大会中止を受けて〜走歴28年間の経験を元に伝えたいこと〜

つい最近、小中高の陸上競技全国大会(他の競技も同様)の中止が発表されました。

タムタムランニングクラブでは毎年、年度始めに小學生メンバーのクラブチーム登録を行い、神奈川県の競技会に出場しております。

毎年、7月頭には全国大会神奈川県予選会が開催されます。クラブ立ち上げ時から毎年出場しておりますが、今年は全国大会が中止になり、指導者として子どもたちをその全国大会予選会のスタートラインにすら立たせてあげられない状況になり、正直かなりショックです。  

今回は、小中高陸上全国大会中止を受けて、僕=佐藤心雄(さとうしんゆう)の走歴28年の経験を元に伝えたいことをまとめて書いてみます。  

小學生時代はバレーボール部とドッチボールクラブに在席。1度だけ小6の時に、八戸市内の陸上大会に出場させて頂きました。(100m15秒8、組で3 位)  中學1年生(青森県八戸市立長者中学校)から陸上競技を始め、今年の5月28日で走歴28年(40歳)になります。  

陸上を始めて最初に出場した800mの大会ではダントツのビリ。ビリを取ったあとに出來た夢は、”全国大会出場”  顧問の前田先生(三段跳び)は自主性を重視されており、大会時に口頭でアドバイスを頂く程度で、特別指導して頂いたことは殆どありませんでした。 ※ 前田先生は、飛躍という、陸上部専用の冊子を毎年作成して下さってたのですが、めちゃめちゃモチベーションアップに繋がってました。  

友達や後輩らと走ったり陸上の本を読んで研究しながら、わからないなりにもトレーニングを続け、チャレンジ→失敗をたくさん経験しながら、少しずつ力がつきました。

【中學生の頃の夢:全国大会出場】 ・中1 800m:ダントツビリ ・中1 3000m:八戸市で6位入賞(10分37秒) ※最初は12分くらいでした。 ・中2 3000m:八戸市で優勝(確か10分10秒くらい) ・中2 3000m:初の青森県大会出場で6位入賞(9分37秒) ・中3 3000m:初の青森県大会優勝 ・中3 3000m:初の東北大会9位(9分14秒、青森県選手の中ではトップ) ※8位入賞まであと0.8秒くらい。全国大会(全中)標準記録まであと6秒) ・中3 東北大会の記録を元に、青森県代表選手に選ばれ、第1回都道府県対抗男子駅伝競走大会に出場。2区3km9分47秒、区間ビリ(後半区間も含めてビリ)。チーム最下位。 ※この時に出來た夢が、マラソンでオリンピック出場。 ★全中出場はならずも、第1回都道府県対抗男子駅伝で夢の全国大会初出場★

【失敗した時や節目の心境】 ・中1最初の大会で初めてビリを取った時:これ以上下がる事がないからあとは前に向かって走ろう。 ・中3で陸上人生初の全国大会(第1回都道府県対抗男子駅伝競走大会)でダントツビリになった時:高校生になったらジャンプアップ。おとなになったら、マラソンでオリンピック選手。 【進路】  1校から勧誘のお話あり。母親の実家である福島県の高校に進學も選択肢にありましたが、最終的には、名久井農業高校の加藤先生から、熱心にお誘いをして頂き、そのお氣持ちに応えたいと思い、駅伝伝統校の名久井農業高校に進學を決めました。  

加藤先生から、挨拶・言葉づかい・部室の掃除(部室や宿の靴やスリッパを並べる)など、ランナーである前に、人としてどうあるべきか!?を學ぶことが出來ました。 【高校生の頃の夢:インターハイ・都大路出場、5000m14分台】 ・高1 スランプ、ビリ 5000m16分03秒 ・高2 膝のケガ 5000m15分40秒くらい ・高3 東北総体5000m出場→優勝を飾ったジェームス・ワイナイナ選手(仙台育英)に周回遅れ。インターハイ(全国高校総体)には遠く及ばず。 

・高3 全国高校駅伝(都大路)青森県予選。青森山田高校に10秒差で破れて2位←その年の県予選秒差ランキング全国NO.1 ・高3 日体大長距離記録会5000m14分54秒(卒業前)←この時は既に部活引退。記録会前約1ケ月は、自分でメニューを作成し、トレーニング実施。苦手なスピードトレーニングを多めに導入。 ※ 夏休み・冬休みは、合宿以外は基本的に自分でメニューを作成し、トレーニングに励みました。

★インターハイ・都大路出場はならずも、夢の5000m14分台突入★ 【失敗した時や節目の心境】 ・高3:5000m目標の14分台をマークするも、全国ランキングでは270位だった時:社会人になったらマラソンでオリンピック選手。 【進路】 ・大學で箱根駅伝に出場するよりも、実業団に行って、マラソンでオリンピックに出場したい夢がありました。凄く興味があった実業団チームの雪印乳業(千葉県)は、陸上部が廃部になります。(入社出來る力はありませんでした)  進路を考えていたタイミングで、陸上自衛隊八戸駐屯地から、陸上自衛隊の駅伝全国大会(通称=円谷駅伝)で走る選手として声を掛けて頂き、採用されました。

【社会人(陸上自衛隊)での夢:オリンピック、5000m13分台、青東駅伝出場】

・20歳 盲人ランナー高橋勇市さん(のちにアテネパラリンピックマラソン金メダリスト)の伴走(田沢湖マラソンフルマラソン3時間47分で完走)。小學生の頃からずっと夢だった青東駅伝に初出場

・21歳 国体(山岳競走)青森県代表選手として出場。縦走では全国9位→東北大会ではビリ。国体後、オリンピック出場の夢を叶えるために、自衛隊体育學校(実業団)の世界にチャレンジ。ビリからスタート ★オリンピック出場は叶いませんでしたが、自衛隊体育学校で成長過程を大切にする田尻コーチや日の丸を付けている選手との出会いがあり、とても貴重な経験になりました★

・22歳 地元(青森県八戸市)に戻り、持続走訓練隊で再び走り始め、記録が飛躍的に伸びました。青東駅伝出場→3回走り、全て区間上位。東日本エリアの実業団選手や大學生ランナーと競り合いました。

・23歳 約5年務めた陸上自衛隊(持続走訓練隊、演習、大型免許、食事作り)を辞め、東京進出→市民ランナーになる。3〜4年くらい、記録よりも樂しさを優先して走っておりました。 【失敗した時や節目の心境】  自衛隊を辞めるタイミングで、新潟にある実業団(重川材木店)で選手募集の記事が陸上雑誌に掲載されてありましたが、入社標準記録(確か5000m14分20秒)に届かなかったのと、走ることに対する情熱が薄れており、断念しました。情熱があったら、重川材木店に連絡して、直談判してたと思います。

・31歳 数々の転職(介護・自動車工場・飛び込み営業・スポーツインストラクター・プラスチック工場。アルバイト含めると30種類ほど経験)を経て、ランニングクラブ設立(洋光台陸上クラブ→タムタムランニングクラブ)。 →洋光台陸上クラブ設立から今年4月で丸9年、タムタムは丸6年になりました。 【ランニングクラブ運営を始めてから(30歳過ぎてから)出來た夢:全国大会優勝、マスターズ日本記録樹立】

・32歳 全国スポーツ祭典陸上競技大会(改修前の国立競技場)5000m優勝

・34歳 第1回ベアフット(はだし)ビーチラン日本選手権(新潟)10kmの部優勝 ※タイトルの写真です。 ・37歳 神奈川県実業団ロードレース大会(丹沢湖)10kmの部優勝

・38歳 5kmロードM35 創設日本記録 ・39歳 5kmロードM35 日本記録樹立 ★ランニングクラブ運営を始めてから出來た夢は、30代のうちに全て叶えました★

【現在(指導者・選手)の夢】 ・指導者(クラブ運営者):オリンピック、全国大会出場する選手の輩出。 →目先の結果に囚われず、成長過程を大切にした形で、クラブ会員さんの夢をかたちに変えられる様に、目線を合わせて指導させて頂いております。  タムタム会員さんには、受け身にならず、自主的に考えて行動出來る、自主性の高い、中身を大切にした心優しいランナーになって欲しいと思います。

・選手:M40のカテゴリーで、マスターズ日本記録樹立(5km・10km・20km)、世界マスターズ8kmクロスカントリー金メダル獲得  今、小中高生の皆さんは、全国大会という1つの目標を失い、本当に辛いと思います。  

特に、中高生で、進学のために、全国大会で成績を残すと考えていた方は、特に不安な氣持ちでいっぱいだと思います。  僕自身、中高時代は全中・インターハイには無縁でしたが、ステキなご縁があり、進学・就職に繋がりました。  

陸上競技を始めた中1(12歳)〜22歳までは、セカンドキャリアのことを殆ど考えず、走ることを一番に考えていたため、勉強や資格資格など、疎かにしておりました。  

23歳になった時、ふと立ち止まり、「この先、とんでもないケガをして走れなくなった時、手に職がある訳でもないし、何をして生きていけば良いのだろうか…」という不安が押し寄せて來て、セカンドキャリアのことを真剣に考え始めました。  

考えた結果、誰かの役に立てるお仕事をしてみたいと思い、ホームヘルパー2級の資格を取得し、陸上自衛隊を辞めて、東京のデイサービスに就職しました。  

陸上競技中心の世界からお仕事中心の世界に23歳で飛び込み、仕事の進め方(報連相・パソコン出來ない…)や言葉づかい、人間関係など、課題山積みで本当に苦労しました。 ※ ホームヘルパー就職後は、色んな事情が多々あり、31歳↑の時の部分に繋がります。  

全国大会で成績を残すことはとても大切だと思います。でも、次のステージ(進学・就職・セカンドキャリア)でより輝くためには、”人間力を高めること”がとても大切になります。  

僕自身、走ることを中心に考えて生活していた23歳までは、人間力を高める努力をあまりしてなかったことが影響していたせいか、安定した走り(調子が良いときはタイムが出て、調子が悪いと駅伝ですぐ大ブレーキ)があまり出來ませんでした。  

でも、陸上自衛隊を辞めてから一般社会でたくさん社会経験を積みながらちょっとずつ人間力を高めていくことが出來、30歳を過ぎてから、安定した走り(調子が悪くても、最低限のまとめた走り)が出來る様になりました。  

最近の強いチーム(高校・大學)では、人間力を高めることに重きを置いて指導されている監督さんが非常に多くて、とても素晴らしいと思います。  

人間力を高めるためには、成長過程を大切にする(成長過程を大切にした上で結果に結びつけていく)・心で向き合う・自己分析して自分を知る・ゴミを拾う・挨拶・キレイな言葉を使う・キレイな字を書く・お世話になっている方々や施設に感謝の氣持ちを伝える・學びを深める(勉強・日記・本を読む)…など、出來ることはたくさんあります。  

今の状況が回復して、再び陸上競技大会・マラソン大会のスタートラインに立てる日が必ず來ると信じて、最高のパフォーマンスを発揮出來る様に、人間力を高めて行きましょう。

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